バックナンバー

Vol.151

Vol.150

Vol.149

Vol.148

Vol.147

Vol.146

Vol.145

Vol.144

Vol.143

Vol.142

Vol.141

Vol.140

Vol.139

Vol.138

Vol.137

Vol.136

Vol.135

Vol.134

Vol.133

Vol.132

Vol.131

Vol.130

Vol.129

Vol.128

Vol.126

Vol.125

Vol.124

 


ピコット便り Vol.146  おぼろ月夜

                                            2005.秋

 世界各地によく似た昔話があります。天地創造のお話は、世界のあちこちで、「どろどろした場所から陸を作った」と語り継がれているし、三人兄弟の末っ子が困難を乗り越えるパターンのお話もたくさんありますね。情報が地球上を駆け巡る現代からはるか昔、庶民の口から口へと伝わって来た物語に、人間の生活や考え方には共通するものがあることを感じさせられます。


ところで、昔話には怖い場面や残酷な場面も多いのですが、それを「子どもに聞かせるのにふさわしくない」と感じる人もまた、洋の東西を問わず多いようです。そのため、イギリス民話「さんびきのこぶた」で、こぶたたちとオオカミが和解(?)したり、グリム童話では赤ずきんがオオカミに喰われずに逃げおおせたりと、結末を改作して出版される絵本も見られます。(ご興味のある方は、野村ひろし著「昔話は残酷か」をどうぞ。)日本の昔話でも、たとえば「かちかちやま」で、タヌキがおばあさんを殺した残酷さと、そのタヌキがウサギにされる敵討ちの手厳しさの両方で、同じような議論を呼びます。

残酷な部分のあるお話を子どもに見せるかどうかの最終判断は、それぞれのご家庭になりますが、当の子どもたちはどう思っているのでしょうか。子どもと絵本の出会いに立ち会ってきた本屋の目から見ますと、夜は怖いからイヤと言う子や、一時的に怖がりになる子といった、例外はありますが、おしなべて「こどもは怖いお話がとても好き」です。ただしその恐さの質は、意味なく残酷さが強調されたものでなく、必然性のある怖さであることが条件です。タヌキはおばあさんにあんな酷いことをしたから、背中を焼かれ、泥の舟で川に沈められた、というように、怖さが聞き手の中で完結しなければならないと思います。また昔話では、「怖さ」の描写も「食べられた」「死んでしまった」とあっさりとした表現に留まり、リアルにその場面を描きません。さらに、「理解できない、ということで、子どもは怖さから守られる」という説がありますが、これも本当でしょうね。形式的な怖さは楽しんでも、本当の怖さには、それを超えられるようになる時まで子どもは出会う事がないのかもしれません。そんな訳で、ピコットが選ぶ昔話には改作はなし。秋の夜長、家族でくっつきあって、ちょっと怖い昔話などいかがでしょうか?
 

「怖いお話と子ども」、語りつくせないので、次号でまた・・・。