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ピコット便り Vol.137  雷さま大歓迎

                                            2003.夏

 経済社会に住み、本の販売を生業にするわたしですが、時々「物の正当な値段」ってなんだろうかと考えてしまいます。例えば、野菜を買いに行ったとします。旬のナスやきゅうりがひと籠100円になっていると、すごく嬉しい。ですが、この時もし家に携帯を掛け、「冷蔵庫にナス、あったっけ?」と聞けば、50円程掛かってしまいます。丹精して畑で育てて100円。「あったっけ?」と聞くのに、50円。う〜ん。納得いかない気がします。納得いかないけれど、ついやってしまうし、やったからと言って即生活に跳ね返りもしません。安いからとつい買ったきゅうりを冷蔵庫でしなびさせても、わざわざ話すまでもないことに携帯を使っても、特別困らない私たちの暮しは、別の国の人から見ても当り前でしょうか。別の時代の人から見ればどうなんでしょう。


 本の場合もまたしかり。優れた出版物が必ず高価格であるとも言えないし、つまらない内容でも、宣伝の上手さで爆発的にヒットすることもあります。また、ご相談に乗ってあれこれアドバイスさせて頂いても、本棚からご自分で取り出して頂いても、当然ながら買っていただく価格は同じです。文化に値段を付けると言うのもまた本当に難しいと、書籍を扱っていて感じます。


 山の物と海の物を交換していた時代は遠く過ぎ、物が世界規模で流通し、形を持たない「商品」も次々生み出される今。本来の価値と貨幣的価値のずれが、どんどん大きくなって行くように感じます。物の価値を正しく見極められる賢い消費者でいるのも、容易な事ではないですね。


 こう書きつつ、実は私自身の仕事が「ふさわしい価値」を持っているか、この点が少々不安なのです。家を作る技術が無いのに家に住み、布も織れないのに服を着て、電気ガスを使って暮らしている。子どもの本が好きで、ちょっと知っている・・・ということで、曲がりなりにも暮らしていけるのを、100円の野菜を買う時の様に、有難く申し訳なく思う時があります。